赤坂優さんが振り返る、エウレカ起業後3年間の5 HARD THINGS
(編注※:当記事は2016年1月7日『The First Penguin』に掲載された、株式会社エウレカ代表 赤坂優さんのインタビュー記事の転載です)
昨年「米InterActiveCorp(IAC)によるエウレカの買収」というニュースが流れ、スタートアップ界隈を賑わせた。
エウレカは、スマートフォン市場を中心に事業を展開するスタートアップだ。Facebook認証を利用した恋愛・婚活マッチングサービス「pairs」、続いてリリースしたカップル向けコミュニケーションアプリ「Couples」ともに現在、会員数300万人を突破している。
一見、華々しい飛躍をみせているように思えるエウレカだが、ここに至るまで決して順風満帆ではなかった。「創業してからの3年間は、もうホント、一番辛い時期でしたね」と話すのは、株式会社エウレカ代表・赤坂優さん。当時を振り返り、「でも、当時がなかったら今もないんですよね」と笑う。
株式会社エウレカ代表、赤坂優さん(写真:岡村大輔)
赤坂優さん:エウレカの場合、最初からメインとなるサービスありきで起業したわけではありません。当時、僕は26歳。知識も経験値も足りず、「さてどうしよう」の連続でした。
今回は、その中でも特にダメージが大きく辛かったことを5つご紹介します。
1. 足下の売上を作るか、新規事業を作るか
起業して真っ先にぶち当たった壁が「新規事業を始められない」でした。
当然ですが、新規事業を考えているだけで売上は増えません。
エウレカでは、VCから資金調達をしないというルールを作っていました。当時のVCは大手が多く、僕たちなんて相手にされないだろうなと思っていましたし、知識がないために会社を乗っ取られるんじゃないかという怖さもあったんです(笑)。なので、受託開発や広告代理事業をしないと食べていけなかった。
そもそも、僕は前職で「イマージュ・ネット」というECサイトでメディアプランナーをしていました。しかし、起業のために退職しようとしても、僕が担当していたメディア事業を引き継いでくれる人がいませんでした。それでメディア事業を持ったまま起業することになったんです。この事業のおかげで、しばらくの間、会社は成り立っていました。
この既存事業に力を入れる一方、出遅れてしまうのが「新規事業」です。当時は会社のトップである僕が頑張らないと売上を作れない状態でもありました。そうすると、僕自身がプレーヤーとして立ち回っているために、いつまでたっても新規事業をスタートできない。でも、僕が動かないと会社の存続自体が危うい。焦りとフラストレーションが募っていく日々がしばらく続きました。
この状況を打破してくれたのは、共同創業者の西川でした。西川が中心となって、僕が担当していた既存事業をすべて巻き取ってくれたんです。このときの西川は営業をやったことがなかったはずなのに「営業なんて、やればできるのよ!」と、僕よりも頼もしく言ってくれました。
とはいえ、「新規事業をするには何から始めればいいの?」状態だったので、まずは既存事業を軸に徹底したリサーチから始めました。何かないか、何かないか…と歩き回りました(笑)。そこで、取引先の大手通販会社から「広告出稿しても、広告費に見合わない結果になってしまう」という声をもらいました。もう少しくわしく調べてみると、仲介会社を含めた利益構造に課題があると気づいたんです。
たとえば、有名人のブログに商品のPRについて書いてもらう、という広告メニューが当時出始めていたのですが、某クライアントさんから「CPAが普段は800円ぐらいのはずが8,000円だったよ」という話を聞きました。調べてみると、広告代理店が大きく利ざやを抜いているために、効果が悪くなっていただけだったんです。
つまりモデル事務所への支払い60万に、190万円のマージンをのっけて250万円で販売しているために、CPAが見合わないなんていうことが起こっていたんです。こんなの業界的にはありえない。コーヒーを10円で仕入れて、2000円で売ってるようなものですよね。
そこで、クライアントも仲介マージンをとる代理店側も満足できるスキームに組み立て直すため、ブログの広告ネットワーク事業をスタートさせました。これがうまくいきました。当時、ドクターシーラボのECグループ長だった西井敏恭さんにも協力してもらって1年半ほどで軌道にのせることができ、年商4億5,000万円くらいの売上を達成できました。
2. 中途採用の失敗
新規事業を進める中、同時に起こったのが「中途採用問題」でした。
起業したばかりのころは、お金もないしコネもない。給料も低いままだし、福利厚生もない。事業プランもなく、0→1を作る段階なので労働時間も長い。さらにいうと、僕自身に輝かしいキャリアがないので、パーソナルな力で引っ張ることもできない。当時、キャリア採用をしようと思ったら、取締役などのポジションを提供するしかありません。
そんな状態のときに、僕と西川に続き、3人目の役員として新たに参加してくれた人がいました。ネット広告代理店の人を引き抜いて取締役として入ってもらったんです。こんなときにうちへきてくれるなんて…神様かと思いました。
ですが、結果的にその人とうまくフィットしませんでした。
具体的に何が合わなかったのかというと、その人は高い目標に対して「難しいからできない」と言ってしまうタイプだったんですね。僕や西川は「とりあえず、やってみよう」というタイプでした。ここが、一番のズレでした。
スタートアップは何もないところから「何か」を作り出していくのが仕事です。いわば、無人島に放置されているようなものなんです。「できない」と言う=火をおこさないと死んでしまうような状況で「火をおこしたことがないから無理です」を意味します。
「難しい」「できない」というその人を、周囲はだんだん信じなくなっていきました。無理だと言われても、やらなければ会社は潰れます。僕らとしてはやるしかないし、実際にやってみるとできたこともありました。そういう状況になると、その人を差し置いて、下の社員たちが売上を増やしていきます。その人は次第に立場を失い始め、ある日「辞めます」と、会社を去って行きました。
これを機に僕は中途採用をやめました。
明確な事業プランがあって資金調達をしていてお金があれば、中途採用をしてうまくワークさせることもできるかもしれません。もしくは、社長に輝かしいキャリアがあれば人もついてくるだろうと思います。
でも、僕たちの場合は当時、明確な事業プランはない、広告代理事業をやっているし、資金調達していないからお金はないしで、そんな会社に来てくれる人なんていないですよね。じゃあ何を目指して来てもらうか・採用するかといえば、この会社を大きくするという夢しかなかったんです。
ただ、このときの失敗をきっかけに、どんなに条件面を優遇しても「会社の成長を一緒に感じること=夢」に価値を見出してもらえるような人じゃないと、初期のスタートアップでは採用しても全く機能しないと気づきました。
そこで始めたのが、インターン採用です。インターンにイチから仕事を教え込むことは苦労しましたし、スタートアップとして遠回りもしましたが、結果的にしっかりワークしました。実績がないエウレカにとって、キャリアが真っ白なインターンとの方が相性がよかったんです。
今では中途採用をスタートさせつつ、インターン採用も続けています。創業期にインターンで入社して、今でもうちに残ってくれている社員はみんな、会社に対して相当な愛着を持ってくれています。インターンだった子が今では取締役をやっていたり、トップエンジニアをやっていたりします。
3. 「経営理念」なんてない
エウレカが社員含めて4人だったとき、社員たちから「経営理念」を求められることがありました。些細かもしれませんが、起業当時に最も悩んだのが「経営理念をどうするか」でした。
「赤坂さんのやりたい会社って、どんな会社ですか?」
「サイバーエージェントってこうじゃないですか?うちはどうなんですか?」
「何の事業をやっていつまでにどういう成功を収めたいのか教えてください」
4人中2人が役員という状況で何が起こるかというと、役員以外の社員が「自分たちには同等の発言権がある」と勘違いしがちな環境になるんです。少人数ですし、当然ですよね。
僕自身しっかりしているタイプでもないので、「社長がハーフパンツで出社するってどういうつもりなんですか?」「(オフィス移転で)なんのためにそんなに広いスペース借りるんですか?」「なんでアンティーク家具を買うんですか!?ニトリの家具のほうが安くて使いやすいです!」と言われるなど、社員たちの語気がどんどん強くなっていきました(笑)。
そんな中、言われたのが「この会社の経営理念は何ですか?」でした。正直なところ、「そんなものねぇよ」という話です(笑)。
エウレカのオフィスにて(写真:岡村大輔)
生き残っていくことで精一杯なときに、理念とかぶちかましている余裕はないんですよ。でも、社員もあったほうがいいと言うし…。ならば!と考えますがピンとくるものが思い浮かばない。悩みに悩んでも、ウソっぽい言葉しか出てこないんですね。当時は新規事業をどうするかに奔走していましたから、悩むことが多すぎて、一時は体調を崩し、電車内で倒れそうになることもありました。
(なので、しばらくは電車に乗らず、自転車通勤をしていました。当時、このことを共有していたのは西川だけでした…。西川には「赤坂さんダイエットのためにチャリ通始めたらしいよ」という口コミをそれとなく社内に流してもらって、社員には不安を与えないようにしていました)
しばらく経営理念を出せずにいると、社員たちとの関係も悪化していきました。そのとき、西川が「社長はあんただから、やりたいようにやればいい。経営理念なんて考えている暇なんてない、今は売上を作ることに頑張らなきゃいけないって思ってるんだったら、それでいいんだよ」って言ってくれたんです。この言葉で、目が覚めました。
社長になるとメンバーを「仲間」だと思います。だから、みんなの中の最適解を探そうとします。ですが、みんなの意見の一番いいところを採用するって、会社としては全然意味がないことに気づきました。どう進めていくかは、代表である僕が決めることです。
社員たちに「経営理念なんて作らない!」「作ったとしても、毎年変えるから!」と伝えるミーティングを開催しました(笑)。だって、当時はまだ2ヶ月くらいしか経営していませんでしたからね。理念も何もないじゃないかって思って。
4. 自社サービスがまったくヒットしない
創業して1〜2年の間に上記の問題が同時多発的に起こり、ようやく落ち着いたところで立ちはだかったのが「自社サービスがヒットしない」です。
エウレカ創業から「自社サービスを作りたい」という思いがありました。
2011年の夏、KDDIのインキュベーションプログラム「KDDI∞LABO」への参加をきっかけに、「peepapp(ピープアップ)」という他人のアプリを見られるサービスを作ったり、それにリバイスをかけた「Pickie(ピッキィ)」を作ったりしました。しかし、どちらもヒットしませんでした。
このころのエウレカは、売上のほとんどが受託開発をメインとしたビジネスでした。当時の売上は約7億円、従業員は約25人。貴重な利益を使って自社サービスを作っているのに、結果を出せていなかったんです。となると、受託開発を担当する社員たちから「自分たちが頑張って作ったお金を使っているのに、成功しないってどうなの?」となっていくわけです。自社サービスがヒットしない間、こうした重圧が常に僕にかかり続けていました。
新しいことを始めるとき、周囲の人間はその成功を信じられないものです。信じられないから、誰も成功するとは思っていないし、「まだやってるの?」という視線を向け始めます。この視線は、非常に辛い。
成功するまでの助走期間が長いと、その人たちが離れていく現象も起きます。具体的に言うと、失敗は2回まで。1回目の失敗で「あれ?」となり、2回目の失敗で「もうダメかな」と離れていきます。
周囲の信頼を勝ち取るには、「成功」と言える結果を出すしかありません。成功して初めて、周囲の目が変わります。「この人、本当に有言実行したな」「ついていっても大丈夫だ」と、信頼してくれるようになるんです。
エウレカでも「peepapp」「Pickie」と続けて失敗したために、「自社サービスで成功できてないじゃん!」という空気が社内中に溢れました。ですが、「pairs」「Couples」がヒットし、ようやく周囲が「なんだよ、成功するじゃん!」となってくれたのです。
結果×ビジョンには、多くの人を引き寄せる力があります。しかし、結果がともなっていないビジョンを社外で語るのはビッグマウスになるだけです。
ビジョンを語っている暇があったら、結果を出すための時間に費やしたい。エウレカの場合、何かしらの結果が出るまではメディア露出や交流会、イベントにも行きませんでした。その代わり、西川と「辛いね…」と言い合いながらお酒を呑んだり、気分を変えて社員たちと飲みに行ったりしていました。社員たちとの飲み会で「会社が楽しいです!」と言われて、「そっか。じゃ、餃子も頼んでいいぞ!」と小さく喜ぶ日々を淡々と重ねていた気がします(笑)。
5. スタートアップである限り、常に「ふりだしに戻る」
「人は、結果にしかついてこない」というのは、創業当時から感じていたことでした。
創業当時を振り返ってみて、中途採用がうまくいかなかったのも、社員たちに「経営理念は?」と詰め寄られたのも、すべてエウレカが結果を出せていなかったからなんだろうなぁと思います。結果がないから、誰も会社を信じていなかったんです。ですから、米IACグループのM&Aというわかりやすい結果を出した後は、周囲の変化はとても大きいものでした。
だからといって、これで安心とはいきません。「pairs」「Couples」のヒットやM&Aで勝ち取った信頼も、新しい動きを始めるたびに再び「ふりだし」からのスタートとなります。成功すればさらなる信頼が寄せられ、失敗すればみんなが離れていく。スタートアップである限り、結果は出し続けなければいけないわけです。本当に酷ですよね(笑)。
写真:岡村大輔
赤坂 優
Yu Akasaka
株式会社エウレカ、代表取締役CEO。同社でリリースされたアプリ「pairs」と「Couples」はともに現在会員数300万人を突破。2015年5月、M&Aによって米IACグループ入りを果たす。